東京高等裁判所 昭和62年(う)1341号 判決 1988年4月01日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人安田好弘作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。
公訴権濫用の控訴趣意について
所論は、本件は損害額がわずか一、一四〇円にすぎない微罪であって、不起訴が相当であることはきわめて明白な事案であるにもかかわらず、これを起訴に及んだ検察官の措置は、山谷地域における労働運動を弾圧する意図のもとに検察官に与えられた起訴、不起訴の裁量権の範囲を逸脱した違法、無効なものであるというべく、したがって、公訴を棄却すべきであるのに、この点を看過して実体判決に及んだ原審の措置には不法に公訴を受理した違法があるというのである。
しかしながら、検察官の起訴が起訴、不起訴の裁量権を逸脱してなされたものとして無効とされる場合が仮りにありうるとしても、それは、例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるというべきであるところ、本件がかかる場合に該当しないことは原判決が「公訴権の濫用について」の項でるる説示しているとおりといわなければならない(なお、本件公訴提起が山谷地区における労働運動を弾圧する意図のもとになされたものであるとの所論についていえば、原審証人宮崎一夫、同笛木清などの証言及び被告人の原審公判廷における供述中、少なくとも所論に沿う供述部分は原審取調べにかかるその余の関係各証拠に照らしていたずらに臆測を逞しうするものにすぎないというべきであるから、所論は到底採るをえないものというべきである。また、弁護人は、被告人以外の者が本件警察車両に対して本件より重大かつ悪質な損壊行為を行っているのに被告人のみが公訴を提起されたのは著しく不平等であるとも主張するが、右の主張が理由のないものであることも、原判決が説示するとおりといわなければならない。)。したがって、弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく、所論が排斥を免れないものであることは明らかであり、論旨は理由がない。
訴訟手続の法令違反の控訴趣意について
所論は、原審取調べにかかるビデオカセットテープ一巻は、最高裁昭和四四年一二月二四日判決・刑集二三巻一二号一六二五頁の要求している写真撮影の要件を具備していない条件のもとで撮影、録画されたものであるから、憲法一三条の保障する、何人もその承諾なしにみだりにその容貌等を撮影されない自由を不法に侵害して収集された、いわゆる違法収集証拠に他ならず、証拠能力を認めるに由ないものであるにもかかわらず、かかる証拠に証拠能力を認めて事実認定の用に供した原審の措置は、判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反があるというのである。
たしかに、その承諾なくしてみだりにその容貌等を写真撮影されない自由は、いわゆるプライバシーの権利の一コロラリーとして憲法一三条の保障するところというべきであるけれども、右最高裁判例は、その具体的事案に即して警察官の写真撮影が許容されるための要件を判示したものにすぎず、この要件を具備しないかぎり、いかなる場合においても、犯罪捜査のための写真撮影が許容されないとする趣旨まで包含するものではないと解するのが相当であって、当該現場において犯罪が発生する相当高度の蓋然性が認められる場合であり、あらかじめ証拠保全の手段、方法をとっておく必要性及び緊急性があり、かつ、その撮影、録画が社会通念に照らして相当と認められる方法でもって行われるときには、現に犯罪が行われる時点以前から犯罪の発生が予測される場所を継続的、自動的に撮影、録画することも許されると解すべきであり、本件ビデオカセットテープの撮影、録画された際の具体的事実関係がかかる諸要件を具備しているものであることは、原判決ならびに原判決の援用する原審の昭和六二年二月二〇日付証拠採用決定が適切に説示しているとおりといわなければならない。したがつて、弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく、原審が本件ビデオカセットテープの証拠能力を肯認してこれを事実認定の用に供したのはもとより正当というべく、所論は採用の限りではない。論旨は理由がない。
量刑不当の控訴趣意について
所論は、被告人に対する原判決の量刑が不当に重い、というのである。
そこで、原裁判所が取り調べた証拠を調査し、当審における事実の取調べの結果を参しゃくして検討すると、被告人の情状は、原判決が「量刑の理由」の項で説示しているとおりであって、これによれば、被告人を懲役三月に処した原判決の量刑はやむをえないところと思料され、重過ぎて不当とは到底いえない。論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官石丸俊彦 裁判官小林隆夫 裁判官日比幹夫)
《参考・第一審判決理由抄》
一 本件ビデオテープの証拠能力について
この点については、当裁判所が既に昭和六二年二月二〇日付け決定(以下、「本件決定」という。)において説示したとおりであるが、弁護人から本件決定に対して異議が申し立てられ、弁論においてもこれが援用されているので、以下その点に絞って更に説示を加える。
まず弁護人は、犯罪の証拠とするためのテレビカメラによる人の容貌の撮影・録画は強制捜査であって、警察法二条一項を根拠としてはこれを行うことはできず、その根拠は憲法及び刑事訴訟法に求めざるをえず、その具体的基準は最高裁昭和四四年一二月二四日大法廷判決・刑集二三巻一二号一六二五頁によるべきであると主張する。
前掲各証拠によれば、本件当日のテレビカメラによる撮影・録画行為は、山谷通りにおいて犯罪が発生した場合に備えてその証拠を保全するため、すなわち犯罪捜査のために主としてなされていたものと認められるが、犯罪捜査のためのテレビカメラによる人の容貌・姿態(以下「容貌等」という。)の撮影・録画が強制捜査であるのか任意捜査であるのかは別として、何人もその承諾なしにみだりにその容貌等を撮影されない自由を有し、少なくとも警察官が正当な理由もないのに個人の容貌等を撮影することが憲法一三条の趣旨に反することからすると、警察官が犯罪捜査のため人の容貌等を撮影・録画することが許容される要件については、警察官による犯罪捜査のための写真撮影についての要件を示した右最高裁判決の趣旨に従って判断すべきは当然であって、警察法二条一項もその限度で意味を持つにすぎない。
右最高裁判決は、集団示威行進に際し公安委員会の付した許可条件に違反するなどの違法状況の視察採証のため予め写真機を準備して待機していた警察官が許可条件違反の状況を現認しこれを写真撮影したという事案につき、①現に犯罪が行われ又は行われたのち間がないと認められる場合であって、②証拠保全の必要性及び緊急性があり、③その撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行われるとき、という要件を満たせば、憲法一三条、三五条に違反しない旨判示するが、右判示は必ずしもこの三要件を満たさない限りすべて警察官による犯罪捜査のための写真撮影が違憲であるとする趣旨ではないと解される。そして、右事案において①の要件が存する時点で写真撮影が可能となったのは、警察官が予め犯罪の発生を予測して十分の準備をしていたからであり、逆に右のような準備をしていなければ①の要件の存する時点で写真撮影ができるなどはまったくの僥倖としか考えられないことに照らすと、右最高裁判決の趣旨は、少なくとも予め犯罪の発生が予測されるときには、①②の要件が備わった時点で撮影が可能となるように十分の準備をしておくことを捜査機関に許容するものということができる。
ところで、右事案の場合には許可条件違反などの犯罪はその集団示威行進のなされる日時場所において発生することが予測されるのであるから、捜査機関において右犯罪の発生に備えて撮影の準備をすることは比較的容易であるということができるが、予めある場所で犯罪が発生することは予測されるもののその時点は不明であるという場合にあっては、犯罪発生の時点で撮影が可能となるよう捜査機関において撮影の設備のみならず人員まで準備しておくのは相当困難と考えられるから、犯罪の発生自体は予測されるもののその時点の予測が困難であるため予め撮影のための人員の手配をしておくことが捜査機関にとって不相当な負担になり、かつ①②の要件が備わった時点でその手配にかかるのでは撮影の間に合わなくなるような場合にあっては、①の要件が備わる前から犯罪発生の予測される場所を自動的に撮影し、その映像を録画しておくことも許容される場合があるというべきである。特に予測される犯罪が多数人からなる集団によって行われ、その中に人身傷害を伴うような相当に重大なものが含まれ、その現場に行為者以外にも多数の者がいるような場合においては、一旦犯罪が発生すると、これが予想外に拡大し、長時間にわたり現場の平穏が害される事態も生じうるので、その行為者の適正な処罰は、同種事犯の再発防止の観点からも必要不可欠というべきであるところ、このような事案においては、現場の混乱や多数人の交錯等のため、特定人が犯罪に関与していたか否か、していたとすれば具体的にどのような行為に及んだかなどの事項を適切に立証することは、通常の目撃証言や被疑者供述のみによっては著しく困難と考えられるから、予め犯行現場の状況をできる限り正確に撮影・録画し、後日これを詳細に分析・検討することによって、行為者とその行為を特定・識別し、真犯人とその犯罪行為を適確に立証する必要性と緊急性はきわめて高いといわなければならない。以上のような考察に基づき、前記許容される場合の要件を検討すると、前記最高裁判決の趣旨に従うならば、(1)当該場所で犯罪が発生する相当高度の蓋然性が認められる場合であって、(2)予め証拠保全の手段・方法をとっておく必要性及び緊急性があり、(3)その撮影・録画が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行われるときであるというべきであり、特に(2)の必要性及び緊急性については、予測される犯罪の重大性、行為者の数、行為態様、当該場所の状況等を総合考慮してこれを決することになる。
以上のとおりであるから、本件決定が前記最高裁判決の趣旨に反するとの弁護人の主張は採用することができない。
次に弁護人は、本件決定にはその前提となるべき事実の認定及び評価に誤りがあると主張する。
しかし、前掲各証拠に裁判所に顕著な事実を総合すると、本件犯行当時を基準時として、本件決定の理由二2の(一)ないし(二)に認定した事実を基本的に認めることができるほか、本件犯行当時山谷地区派出所においては、山谷争議団による集団示威行進等の状況を視察している私服警察官の無線連絡に応じて、同派出所三階事務室にいる警察官のうち不特定の一名がモニター用カラー受像機を見ながらテレビカメラを遠隔操作して山谷通りの状況を撮影することもあったとはいえ、特にその専属の警察官が配置されていたわけではなく、また右私服警察官による視察も、地元の浅草警察署警備課勤務の警察官によってなされていたため、その人相等は山谷争議団の構成員や同調者らによく知られていたことが認められ、以上によれば、本件決定の理由二2の(三)に認定したような事態が発生した場合に、視察の警察官が何らの妨害を受けることなく直ちにその状況を同派出所に無線連絡することができるとは限らず、また仮にできたとしても、同派出所において時を移さず確実に右状況を撮影・録画することができるとも限らないというべきであるから、捜査機関において右のような隘路を避けようとすれば、常時多数の警察官を視察のために山谷通り又はその周辺に配置し、かつ常時少なくとも一名の警察官を撮影・録画のために同派出所三階事務室に配置しなければならないと考えられるが、このようなことが捜査機関にとって不相当な負担になることは明らかであり、かつ犯罪が発生してから撮影のための人員の手配にかかるのでは撮影の間に合わなくなることもまた明らかである。
以上のように見てくると、本件においては、本件犯行当時を基準時として、予め犯罪発生の予測される場所を自動的に撮影し、その映像を録画しておくことが許容されるための前提条件が存在していたばかりでなく、本件当日のテレビカメラによる撮影・録画行為は前記(1)ないし(3)の要件をみたしていたものということができる。
以上のとおりであるから、本件決定に前提事実の認定及び評価の誤りがあるとの弁護人の主張も採用することができない。